芸術の真髄は狂った解説にある (と思う)

ぼくゴリラ ウホホイウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホホーイ
 
昨年春、千葉市内の動物園でゴリラを見て、「ゴリラも人と同じように孤独なのでは
ないかと感じた」そうで、その孤独感を表現したかったという。ゴリラのイメージを
文字で表すなら「ウ」と「ホ」だったので、そのふたつでまとめるようにした。
 
選者の田井安曇さん(78)は「素手でつかんだ本音を歌っているユニークないい歌だ」と評価する。
http://mytown.asahi.com/chiba/news.php?k_id=12000000901190003
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1210049.html

 
おれがこのニュースで最も強調したいのは
芸術は「写真で一言」なんだと思う。(大喜利と読み替え可)
いや、そうあって欲しい。
 
大竹伸朗は「芸術家にアカウンタビリティ(説明責任)はない」と言っているが、それに反する思いがある。
 
「見る人に自由に感じ取って欲しい」
と言ったかどうかは覚えてないが。
 
大竹伸朗作品はインパクトだけで家が建つぐらいの価値があるし、彼の言うとおり彼の作品に意味を求めようとは思わない。
意味が解らなくたって凄い、それぐらいの力がある。
 
なので、すべての芸術家に説明を求めたいわけではない。
 
「ぼくゴリラ」のインパクトは、なかなか凄い
字面だけでバカっぽい
グループ魂」の「ゴリラを憐れむ歌」を思い出す
しかし、ちょっと軽くないか?ちょっとどころじゃなく、凄く軽くて薄っぺらい。
 
しかし、この軽い印象の作品に添えられた説明が

「ゴリラも人と同じように孤独なのではいかと感じた」
その孤独を表現したかった

これである。作品から受ける印象と、作品が生まれた理由とのあまりのギャップ
そのおかしなバランスがおれは好きだし面白いと思うし、笑った。
 
やっぱり「写真で一言」が良い。
 
説明が面白い人ばかりとは限らないので、いつも説明を聞きたいわけじゃない。
 
説明が面白い人が居る。
デイヴィッド・リンチに説明させると余計に映画の意味が解らなくなるけど、それも才能だと思うし、映画がより面白くなったように思える。
菱木俊輔君(17)は説明が面白い側の人なのだ。

「ぼくゴリラ ウホホイウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホホーイ」

どの辺が孤独なのかさっぱり解らないところが、すばらしい。
 

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芸術の真髄は狂った解説にある (と思う)
 
たとえば、Windows XPの最初のデスクトップの壁紙が
ラブクラフトの狂気山脈のイメージで一生懸命やりました」
なんて言われたら、あの壁紙を変える事が出来なくなりそうだ、狂気山脈って南極にあるんだぜ
 

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選考の人、
あれはあれで凄い
意図を知って選んだのか、知らずに選んだのかが知りたい